6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がバーレーン・マナマで開かれたユネスコ(国連教育科学文化機関)の会議で、世界遺産に正式に登録された。構成資産の所在地で暮らす「潜伏キリシタンの末裔」たちの喜びの声が様々なメディアで紹介されたが、実は彼らの中には現在、「キリスト教徒ではなく仏教徒」という人たちがいるという。一体どういうことなのか。新著『消された信仰』で“かくれキリシタン”の知られざる歴史と現在を描いたジャーナリスト・広野真嗣氏がレポートする。
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九州本島の北西端に位置する平戸島の最高峰、安満岳(標高538メートル)の西の谷筋には、中腹からの斜面を埋め尽くすように棚田が広がる。
「全国にはいろんな棚田がありますが、『春日の棚田』はちょっと違う。私たちの先祖が代々、棚田を開拓しながら、潜伏キリシタンの信仰を引き継いできた。その苦労が報われたという思いで、感激です」
そう話すのは、人口わずか60人ほどの「春日」の集落の寺田一男さん(68歳)だ。平戸島西岸は1549年のザビエルの上陸後、イエズス会が日本で初めて民衆の一斉改宗を断行した地域だ。
そして、16世紀末から平戸を治める松浦藩は禁教に転じる。キリシタンの信徒たちは表向き仏教徒を装い、安満岳への山岳信仰とキリスト教の神を重ねて拝むことで、ひそかに信仰を続けた。こうして禁教下で信仰を守った信徒たちが「潜伏キリシタン」と呼ばれている。
ただ、取り締まりを逃れるためとはいえ「仏壇にも手を合わせる」といった信仰形態は、一神教であるキリスト教の教義とは矛盾をはらむ。明治になって禁教が解かれた後、再布教のために宣教師を派遣したバチカンの賢者聖省はこれを異端とみて、キリスト教とは認めなかった。宣教師たちは改めてカトリックへの改宗を求めたが、それに応じることなく先祖が守った信仰形態の継承を選んだ人たちがいたのだ。「春日」の集落の寺田さんの家もそうだった。
「春日」の集落は、今回の世界遺産登録において、禁教期に信徒たちが生業を営んだ遺構がそのまま残されているとして、12ある構成資産の一つに選ばれた。寺田さんは、集落に残っていた独特な信仰形態についてこう説明する。
「この集落にはキリシタン講という信仰組織があって、私の家は麻縄をなって束ねた『オテンペンシャ』という御神体を代々、守ってきた家なのです。地域に病気の人が出ると『ちょっとまじないに来てくれ』と私の家に声がかかり、御神体を持って出かけていったものでした」
オテンペンシャは、信心に用いる鞭(むち)だ。かつて中世のキリスト教の信仰に、信徒が鞭で体を打って「悔い改め(ポルトガル語でペニテンシャ)」に努める習慣があった。春日のキリシタンの間では、病を祓う道具として大切にされてきた。