ピアニストの野田あすかさん(36才)は、22才のときに「広汎性発達障害」と診断された。解離の発作を起こして自宅の2階から飛び降り、右足を粉砕骨折。後遺症が残り、車いすと杖が欠かせなくなった。
父・福徳さん(68才)は、あすかさんに生きる希望を与えて障害を軽くしようと、幼い頃から取り組んでいたピアノのコンクールに挑戦させ続けた。その甲斐あり2006年、ハイレベルで知られる大会「第12回宮日音楽コンクールで」、あすかさんは見事グランプリに輝いた。
2009年にカナダで開催された「第2回国際障害者ピアノフェスティバル」では銀メダル、オリジナル作品賞と芸術賞のトリプル受賞を果たした。2011年には宮崎市の清武文化会館半九ホールで初のソロリサイタルを開催した。
娘の努力を讃えつつも、母・恭子さん(66才)は「私は子育てに大失敗したんです」と語る。
「あすかが小さい時は自分の理想を押しつけて、自分中心に動いていました。本当はもっと“娘中心”にすべきだったと反省しています。そうしていれば、もっと早く発達障害に気づいてあげられたかもしれません」
発達障害を知ってもらうため、恭子さんは全国で講演活動を続ける。あすかさんのミニ演奏会とセットのことも多く、シャイで人前に出ると緊張する福徳さんはもっぱら裏方に徹する。そんな母親にあすかさんが、「講演でこれだけは伝えてほしい」と願うことがある。
「それは、“発達障害でも自分にできる精一杯のことがある”ということ。発達障害に甘えていると何もできなくなるので、自分にできることを精一杯やってほしいということです。あすかは“私は発達障害でもいろいろできることを証明したい”とも言いました。私たちを心配させないために言ったのかもしれないけど、私も夫もこの言葉に救われました」(恭子さん)
今年6月、男女3人が死傷した新幹線殺傷事件で逮捕された容疑者の男は、発達障害だったと報じられた。犯罪と発達障害が結びつけられることについて、福徳さんの胸中は複雑だ。
「発達障害にもいろいろな症状があって個人差が多いのに、すべてひっくるめて偏見にさらされることには違和感があり、ちゃんと理解してほしいという思いがあります。ただ、そういう偏見を覆すためにも発達障害を持った一人ひとりが努力する必要があるんです。あすかだってすごくつらい経験をしながら、本人が一生懸命に頑張ったから、周りに理解されるようになったのだと思います」(福徳さん)
あすかさんの頑張りと福徳さん、恭子さんの必死のサポートによって、真っ暗だった道に一筋の光明が差した。