関ジャニ∞の安田章大(33才)が昨年2月に脳腫瘍の一種である「髄膜腫」の提出手術を受けていたことが、ファンクラブ向けサイトでのビデオメッセージで明らかになった。腫瘍は良性で手術は成功し、予後は良好で日常生活に支障はないという。そして、今年4月9日に立ちくらみを起こして背中を強く打ち、背中と腰を骨折して全治3か月のけがを負ったことも明かした。4月15日に開かれた、渋谷すばる(36才)の脱退会見を欠席したのは、そのけがが原因だった。
後遺症も心配されているが、安田は関ジャニ∞にとってなくてはならない存在だ──。
◆ギターケースを背負いがむしゃらに活動した
安田は1984年、兵庫県生まれ。
「小学生の時はソフトボールチームに入っていて公園に集まったら、ヤスくんが“野球やろうぜ”とみんなに声をかけて、よく遊んでいました」(地元住人)
ジャニーズ入りしたのは1997年。当時ジャニーズJr.で活躍していた嵐の相葉雅紀(35才)のファンだった姉が、事務所に履歴書を送ったことがきっかけ。最初は乗り気ではなかったが、「どうせ受からんから、行くだけ行ってみたら?」という母の言葉に反発し、オーディションに合格。
同期には、後に関ジャニ∞の同僚メンバーになる錦戸亮(33才)、丸山隆平(34才)、大倉忠義(33才)らがいる。
「安田くんは圧倒的に人気があった渋谷くん、横山裕くん(37才)、村上信五くん(36才)のバックダンサーを務め、同期メンバーで組んだユニット『BIGWEST』に参加。SMAPやV6のビデオを見て踊りの練習をしたそうです」(当時を知る芸能関係者)
その後、丸山、大倉、元関ジャニ∞の内博貴(31才)とともにユニット『V.WEST』を結成し、リーダーとして活動した。
「当時は関西ローカルの冠番組を持っていて、安田くんは“おれがリーダーやから頑張らなあかん”と張り切り、がむしゃらに活動していました。いつもギターケースを背負って歩いていましたよ」(前出・芸能関係者)
グループ結成前はメンバーにとって苦難の時代だった。2002年に大阪松竹座で関西ジャニーズJr.だけの舞台『ANOTHER』が開催されたが、初公演はガラガラ。この時の心境を安田は本誌インタビューにこう語ったことがある。
「“今日は何人です”ってお客さんの数を聞かされるのがつらかった」
その頃はほかのメンバーにも仕事がなく、村上は遊園地でアルバイトをし、横山は建築現場で働いた。錦戸も友人の洋服店で接客を手伝った。
「安田くんは仕事がない渋谷くんのために配送系のバイトを見つけ、面接の日程まで決めてあげていました。年下だけど、面倒見がよくて、気配りができる。ただ、彼も将来に不安を持ち、“どうしたらいいんだろう”と悩んでいましたね」(前出・芸能関係者)