好調な朝ドラ。視聴者の心をひきつけて離さないその裏には、過去の成功法則を踏襲するだけではない“新しさ”がある。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。
* * *
NHK連続テレビ小説『半分、青い。』の注目度がグングン上がっています。視聴率も連続して20%の大台突破。そして今週、いよいよ一つの区切りがやってきました。
「あんなに好きだった漫画が、苦しいだけになってしまいました」
という鈴愛(永野芽郁)に、巨匠漫画家・秋風羽織(豊川悦司)が返した言葉は──。
「漫画家を、やめたらいい、と思います」
秋風の口からゆっくりと出た言葉。あまりにも辛い言葉。だが、まさしく鈴愛が心のどこかで求めていた言葉。視聴者も噛みしめるように、息を呑むように、一言一言を受け取りました。
静かに、とつとつと吐かれたこの台詞はものすごいインパクトがあって、漫画家修行編の幕を引き、秋風ロスを巻き起こしました。注目すべきは……秋風と鈴愛が、単なる「先生」と「生徒」ではなかった、という点でしょう。では2人はどんな関係なのか? 一般的な、教える側と学ぶ側の関係でないとすれば…?
秋風は、たしかに漫画の技術を鈴愛に教えました。しかしそうした技術・技以上に伝えたことがありました。
「生きる姿勢を自ら見せて、示した」のです。その意味で、「師匠」でした。
一方、鈴愛は「その生き様を受け取って、自分自身の道をさぐる」ことに。その意味において「弟子」でした。そこには、かけがえのない師弟関係が浮き上がっていたのです。そう、秋風塾は単なる教育の場ではなく、そこに漫画の「道」が描き出されていたのでした。
漫画家になることを諦める。漫画を描くことをやめることは、鈴愛にとっての絶望でした。秋風は、それは絶望ではない、ということを伝えたのです。1番好きな漫画を失うことを勧めるのは残酷ではなく深い「愛」と「慈しみ」に支えられた、次の一歩への助言でした。
「失うことは哀しいことではない」という人生の深淵が、そこにくっきりと浮かび上がってきました。