「またあなたですか。あなたが電話をかけてくるってカミさんから聞くたび、あたしゃ眠たい目を擦りながら待ってなきゃいけないから大変ですよ」
7月2日、慢性閉塞性肺疾患で世を去った桂歌丸師匠(享年81)は、いつもそんな憎まれ口を叩きつつも本誌若手記者の取材に応じてくれた。取材は、記者がまず日中に手土産を持って横浜市内の自宅を訪れ、妻の冨士子さんに「夜8時に電話させてください」と約束を取りつけるのが“作法”だった。2016年5月に『笑点』(日本テレビ系)を勇退してからは日中は横になって体を休めている歌丸師匠の事情を考慮して、冨士子さんと相談して決めた時間が「夜8時」。そして電話するとまず“お小言”から始まるのだった。
昨年2月、歌丸師匠が横浜で開かれた落語会にゲスト参加したときには、高座に上がる前に楽屋でロングインタビューを行なった。
歌丸師匠はこのとき、酸素呼吸器から延びたチューブを鼻に繋いでおり、見るからにやつれた姿だった。年初に肺炎を悪化させ前月まで入院していたためだ。
しかしそれを感じさせない小気味良い口調で、自らの病気や65年間の落語家人生、これからの落語界について真摯に話してくれた。
印象的だったのは、恐妻家で知られた歌丸師匠が“妻への感謝”を明かした言葉だった。
「まぁ一番迷惑をかけてきたのはカミさんですよねぇ。2人で話し合って決めていることがひとつあります。それは『アタシの意識が戻らないままだったら延命装置をつけるのをやめよう』ということ。できる限り、迷惑をかけないように逝きたいなと願っているんです」