筆者(黒田勝弘)が住んでいるソウルの学生街である西江大学前あたりの地名は、以前は麻浦区「老姑山洞(ノコサンドン)」といったが今は「白凡路(パクポンノ)」といっている。近年の行政区画改称で昔からの「洞」がなくなり「路」が導入され、地名まで変わってしまったのだ。
以前の「老姑山」は西江大の裏山の名前で由緒があった。現在の「白凡」は日本統治時代の抗日活動家・金九(キムグ、1876─1949)の号だが、麻浦区に隣接する龍山区に彼の記念館があるため、そこにいたる一帯をそんな地名にしてしまったのだ。
日本支配から解放されて今年で73年。それでも“抗日英雄”の名前をソウルの新たな地名にもってくるあたり、今なお日本を意識した“愛国事業”が続いているのだ。旧名に馴染んだ地元住民にとってはいい迷惑だが、住民も行政当局は愛国ポピュリズムには表向き反対はできない。在韓日本人には疲労感の対象である。
金九は韓国の近・現代政治史で人気の人物だ。歴代大統領をはじめ有力政治家のほとんどが「私の尊敬する人物」に挙げる。日本支配に抵抗し、1919年に上海にできた亡命政府「大韓民国臨時政府」の首脳であり、数多くの抗日テロ事件の首謀者として知られる。
日本支配が終わった1945年の秋に帰国して、米国から帰国した李承晩らとともに韓国政局の主役の一人になる。北に出かけて、ソ連の支持で北朝鮮を支配した金日成とも会い“南北協商”を試みるが失敗。左右乱立の政局混迷の中で1949年、政敵によって暗殺される。