戦後、「新大関」は72人誕生したが、そのうち昇進場所での優勝を果たした力士は5人しかいない。千代ノ山(1949年に昇進)、若羽黒(同1959年)、清国(1969年)、栃東(同2001年)、白鵬(同2006年)の5人で、共通するのは大関昇進時に“ガチンコ相撲”を貫いていたことだ。ある若手親方はこういう。
「清国は横綱・大鵬との相星決戦を制して昇進場所優勝を決めたし、栃東はガチンコ横綱・貴乃花の盟友として知られている。白鵬は、その栃東や琴欧洲ら、当時のガチンコ大関を破って大関昇進を決めた。
新大関がなかなか優勝できない理由には、プレッシャーが大きいことや、挨拶回りなどで稽古の時間を確保しづらいといったこともあるが、とりわけ大きいのは昇進を前に周囲に“手心”を加えてもらい、そうした相手に対して昇進場所に全力でぶつかれないことが多かったからだといわれている。その点では、“ガチンコの中のガチンコ”である栃ノ心は誰にも何の借りもない。史上6人目の昇進場所優勝が期待されている」
ただ、周囲も簡単にそれを許そうとはしない。それがよくわかるのが、横綱・稀勢の里の「休場」を巡る動きだ。場所前、稀勢の里が8場所連続休場(途中休場を含む)を決めるまで、水面下では様々な駆け引きがあったという。
「稀勢の里は6月末に二所ノ関一門の連合稽古に2日連続で参加したが、出場が厳しいのは明らかだった。三番稽古の相手に指名した前頭15枚目の竜電を相手に5勝4敗と苦戦していたほど。ただ、その一方で“横綱がこんなに休場続きでいいのか”という批判の声もあった。そうしたなかで、“休場容認”に動いたのが、二所ノ関一門を束ねる尾車親方(元大関・琴風)だったとみられています」(協会関係者)