大阪の中心部から少し離れた下町。昔ながらの長屋が立ち並ぶ地域の一角に、大人数で食卓を囲む人々の姿があった。みんなの視線の先にあるのは、0才の赤ちゃんだ。泣き出したら、誰かが駆け寄って小さな体をあやす。
みんなで作る子育ての輪の中心にいるのは、この赤ちゃんの母親である櫨畑敦子さん(はじはたあつこ・32才)。だが、この家のなかに父親の姿はない。彼女は子供を産み、育てるために「非婚」という選択をした──。
幼い頃から集団生活になじめなかった櫨畑さんは、大阪で“ヤンチャ”な少女時代を過ごした。17才の時に生理不順で病院に行くと、医師から「多嚢胞性卵巣症候群」と診断され「妊娠は難しい」と告げられた。
社会に出てからの交際関係で、プロポーズされたこともあったが、基本的に男性と2人きりでいることが苦手で、結婚に至ることはなかった。
それでも子供とかかわることは昔から大好きで、27才の時に保育士になった。実際に子供と接していると、少しずつ「子供を産みたい」という気持ちが高まっていった。
だが彼女に「結婚」という選択肢はなかった。櫨畑さんは幼い頃から両親の仲が悪く、父親の家庭内暴力に苦しめられた。恋人の暴力や威圧的な態度に怯えて暮らした経験もあり、自分が誰かと結婚して何十年も一緒に暮らすことには到底耐えられないと思うようになった。
「トラウマからか、男性から威圧感を感じるんです。男性と同居すると家事や洗濯なども自分がやらないといけないという責任感が生じて、相手の機嫌をうかがうことがすごいストレスになります。同居の義務も嫌なんです」(櫨畑さん)
30才手前になると、「ただ単純に子供を産んで育ててみたい」(櫨畑さん)という気持ちがピークに達した。
結婚はしたくないが子供が欲しい彼女がたどりついた結論が「非婚出産」だった。櫨畑さんは妊娠に協力してくれる男性を探した。ある時は、友人にこう頼んだ。
「出産を前提に交際してくれない?」
すると男性はこう即答した。
「無理です!」
10人ほどの男性にアプローチしたが断られた。人工授精キットを購入し、ゲイカップルの精子で人工授精を試してもうまくいかなかった。