出口:日本の社会は、個人ではなく会社を前提にできているので、例えば会社に電話しても、「どちらの何々さんですか」と聞かれる社会システムになってしまっている。そうすると、その組織から出てしまった人間は、不安で心身ともに病んでいくんです。でも、かつては組織がなかったので、何事にも縛られることなく自由に生きることができた。
藤田嗣治(日本人画家)らのパトロンとなり「パリの蕩尽王」と呼ばれた薩摩治郎八は、戦後に没落して日本に帰ってきて、浅草のお針子さんと一緒になり、彼女の実家のある徳島の田舎で生涯を終えています。しかし、当時はメディアが発達していないので、「昔はパリでぶいぶい鳴らしていた」とか、徳島ではだれも知らないわけです。若いお姉ちゃんが年上のだんなを見つけて帰って来た、ぐらいにしか見られていない。
それに、治郎八自身が、「カネがあってもなくても関係ない、俺は俺だ」という気概があったから、現代の価値観から見ればたとえ没落であっても、何も気にしなかったのだと思います。
奈良岡:薩摩治郎八はパリの国際大学都市に日本館を建設しています。出口さんが興味を持った大金持ちは、単にお金を稼ぐのがうまかったとか、ぜいたくだったとかというのではなく、お金に関して公の精神性を持った人たちだという印象を強く持ちます。これは私のお金なのではなくて、公のためにこのお金を生かさないといけないという意識を持っている人たちが多かった。稼ぎ方についても、やはり公の意識があったように思います。
●でぐち・はるあき/1948年生まれ。ライフネット生命創業者。立命館アジア太平洋大学学長。近著に『戦前の大金持ち』など。
●ならおか・そうち/1975年生まれ。京都大学大学院法学研究科教授。『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか』でサントリー学芸賞受賞。
※週刊ポスト2018年7月20・27日号