細かい出来事にその都度、動揺したら生きづらい。人の心は良くないことが起きても、それは重大なことではないと思い、バランスをとる。「正常性バイアス」と呼ばれるその心の動きは、「自分だけは大丈夫」と、異常な事態に襲われているのに正常だと思い込むことをいう。九州出身のライター・森鷹久氏が、「大丈夫だから」と避難しなかった地元の人たちの言い分と、現在の心境についてレポートする。
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歴史に残る大災害となっている「西日本豪雨」。死者は218人、行方不明者 は14名(7月19日現在)を数え、道路や鉄道といった交通インフラは大打撃を受け、農林水産関係だけでも被害額は480億円を超す見込みだという。
いまも連日、復旧の様子が報じられている広島や愛媛、岡山が豪雨の直撃を受ける一日前、筆者が育った長崎、佐賀、福岡の「北部九州地区」にも、まさに「これまで経験したことのないような」大雨が激しく降っていた。家族や友人に連絡を取り、安否を確認するとともに、なるべく早めに避難するようにと、少々おせっかいとは思いつつも、アドバイスを続けたが……。
「雨? まあすごいけど、逃げるまではないやろ」
「土砂崩れがあったって聞いたけど、仕事中やしね」
「昔もあったよね、洪水。久々な感じ」
7月6日の午前10時過ぎ、複数の知人は「雨がすごい」ことは認めつつも、異口同音に「避難するまでもない」と判断しているようだった。当時北部九州の広いエリアに大雨特別警報が発令されており、すでに重大な災害が起きているという状態だったが、多くの人が「避難」という選択肢を取っていなかったことは、今考えれば異常なことだった。というよりも、特別警報の意味も、緊急の避難指示の意味も、正しく理解できている人はほとんどいなかったとしか思えない。
確かに九州といえば、夏に発生する台風の通過ルートでもある。筆者も幼いころに何十回も超大型の台風を経験したし、自宅の周りが冠水し周囲に死人が出たことだって一度や二度ではない。だからこそ、台風や水害を大災害だと感じた事はなく、土砂崩れの現場も珍しいことではなかった。仮に被害者が出ても、ごくわずかの不幸な立地に住んでいた人だけに降りかかった話、と思い込んでいた。
「大雨」と言っても、大地震や原発事故に比べてみれば大したことはない、そういう感覚の人が多かった、というのは、台風にが当たり前になっている九州人には理解できなくもない。