83才認知症の母が居酒屋で「サメの心臓」にチャレンジ(写真はイメージ)
父が急死したことで認知症の母(83才)の介護をすることとなったN記者(54才・女性)。介護における食生活改善の重要性を紹介する。
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認知症の母の生活改善作戦で、もっとも成功したのは食生活かもしれない。自炊は早々に諦め、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の食堂に任せたことで激やせから体重が回復し、「頭がハッキリしてきた」と言う。今では居酒屋でサメの心臓にも躊躇せず、好奇心全開だ。
◆栄養不足を脱して初めて、栄養の大切さを知る
5年前の母は、今とは別人のように激やせしていた。認知症らしき症状が始まったところに父が急死し、突然、独居になったショックもあったのだろう。食料品店まで徒歩30分という準・買い物難民で、さらに認知症で妄想が激化し、コミュニケーションも滞りがちだった。それなのに、「毎日買い物に行ってちゃんと食べているわよ」という判で押したような母のセリフを真に受け、私が手をこまねいている間に、母の顔は、急激にしぼんでしわしわになった。
これほどわかりやすいサインが出ていたのに、その時はまさか食べていないとは思いもしなかった。
それに気づいたのは、母がサ高住に転居し、3度の食事を住宅内の食堂で作ってもらうようになってからだ。当初は「長年主婦をやってきた母が、他人の作った食事になじむだろうか」「“自分らしい生活”が大切なら何とか自炊を続けるべきでは」などと的外れな心配をしていたが、しっかり食事をするようになると、みるみる生気を取り戻した。
「最近、頭がハッキリしてきたの。私、認知症みたいだったけど、治ったわ(笑い)」とまで言い出した。昔のぽっちゃり顔に戻った母は、妄想も落ち着いた。
その変化を見てやっと私も気づいたのだ。これまでまともに食べていなかったことと、その深刻さを。
◆命のためだけではなく、食がもたらす心の充足
食堂では、他の入居者とおしゃべりできることも、母には喜びだった。私は父と母と3人家族だったが、母は9人きょうだい。結婚前は家業の職人さんも一緒に、大人数で食卓を囲んだらしい。母には大勢でワイワイ食べる雰囲気も大切な“栄養”だったのだ。
食べることがこれほど人の営みに深くかかわることを、私は全然わかっていなかった。そして、食べる喜びが復活した母を、よく食事に誘うようになった。
母が好きなのは庶民的な和風居酒屋。メニューを眺めながらいつも同じことを言う。
「これ、どんな味つけかしら。家で作る参考になるわね。こういう店、主婦には天国ね」
母はもう料理を作ることはないけれど、「そうか、ごま油を隠し味にするんだ!」とか、「こう盛りつけるとおいしそう!」とか、主婦の血が騒ぐのだろう。話が盛り上がる。
自分の状況が曖昧になる認知症状が、救いになるのだ。
先日も近所の居酒屋で、こんなことがあった。