父の急死によって、認知症の母(83才)の介護をすることとなったN記者(54才・女性)が、4年前の夏を振り返る。自宅を引き払い、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に移る際の「部屋の片づけ」をめぐる葛藤だ。
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2014年夏、認知症で激やせした母を、ゴミ屋敷寸前の家から救出すべく現在のサ高住に転居させた。その結果、状況は好転したのだが、母の人生を背負った重みと容赦ない夏の暑さは、更年期の心身にガツンと響いた──。
認知症の母にとって4年前の夏は大きな分岐点となった。父の急死をきっかけに認知症が悪化し、家の中も荒れ放題。もう独居は限界だと、介護職が身近にいるサ高住への転居に踏み切ったのだ。
とはいえ、その時点で考えていたのは、悲惨な現状からとりあえず母を避難させることだけ。まず生活をコンパクトにし、将来的なことはその後…と思っていた。
引っ越し計画はこうだ。母の暮らす3LDKの家から、新生活に必要な物だけを段ボールに詰める。母の転居後、私が必要品を持ち帰り、残りは廃品業者に処分してもらう。作業は単純。サクサクやればあっという間だと思った。
ところが、その作業が曲者だった。どこにこれだけ収まっていたのかと唖然とするモノ、モノ、モノ。母が若い頃に着たよそ行きの服から、私が学校で褒められた習字まで、半世紀以上の家族の軌跡が手つかずのまま残っていた。
そして、「ボチボチ片づけるわよ」と母が言って、ついに着手されなかった父の遺品。懐かしさと切なさが押し寄せ、私の心はもうパニックだった。
それでも前に進まなきゃと、大量の物をより分けていると、「この服、捨てちゃうの? まだ着られるじゃない」と母。まったく戦力にはならない。
「この巨大肩パットの服、古すぎるって! 恥ずかしい思いをするよ」と嫌みを言った。
「でもこれは持って行って。ママが一生懸命に働いた思い出なの」と、母が差し出したのは預金通帳だった。昔、父が病気で休職したとき、母が働いたパートの振込口座だ。
横面を叩かれた思いだった。私は今、母の人生を解体し、母の心の糧になる品も含めてより分け、箱に詰めているのだ。最強の冷房が効いているのに、全身から汗が噴き出た。