日本歌謡界の巨匠である作詞家・阿久悠さんが2007年8月1日に逝去してから11年が経とうとしている。阿久さんと言えば、沢田研二『勝手にしやがれ』、ピンクレディー『UFO』、西城秀樹『ブルースカイブルー』などのヒット曲を手掛けていた1970年代のイメージが強い。
その中で、“1980年代の阿久悠”にスポットを当てたのが、芸能研究家・岡野誠氏の著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)だ。岡野氏が話す。
「メディアが阿久さんの功績を取り上げる場合、1970年代が中心になるのは必然的なことかもしれない。しかし、1980年代も阿久さんは多くの歌手に影響を与えていた。その代表的な人物に田原俊彦がいます」
田原は1984年5月23日発売のシングル『騎士道』で、初めて阿久さんの詞を歌うことになる。1980年のデビュー以降、『ハッとして!Good』などを歌う“かわいらしいイメージ”からの脱皮を図った。同曲は阿久さん作詞で最後のオリコン1位を獲得した曲でもある。
阿久さんは翌1985年、田原と研ナオコとのデュエット『夏ざかりほの字組』を手掛け、日本レコード大賞の作詩賞を受賞した。そして、1986年は田原の全シングル、アルバムに詞を提供し、“男とは何たるか”を追求。自身の自伝的小説『瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園』の映画化に際しては、田原を主演に抜擢した。
だが、レコード売り上げは伸びず、映画もヒットしたとは言い難かった。そのためか、これまで阿久さんの田原俊彦プロデュース期はあまり注目されてこなかった。岡野氏はこう語る。