当時は結婚をしたら会見を開くのは当たり前。子どもが生まれれば、カメラの前で披露することも恒例行事だった。また、1980年代後半から1990年代前半は結婚披露宴を中継する芸能人も珍しくなく、視聴率も総じて高かった。
そんな時代に、入籍会見や娘の披露をしなかった田原はマスコミから反発を喰らった。長女誕生記者会見の中で、「僕くらいビッグになると」とリップサービスのつもりで発した言葉は、ジャニーズ事務所独立後には『ビッグ発言』と大袈裟に取り上げられ、バッシングが始まった。常に“ネタ”を欲しているワイドショーからすれば、数か月間ノーコメントで通した田原の行為が許せなかったのかもしれない。
逆風が吹き荒れていた同年夏、田原は結婚や子供の公表について、雑誌でこう語っている。
〈その部分だけは“売り物”にしたくないと思ってた。だけどそれを強硬に通すには代償が大きかったんだよね。すべてが僕だけに集中するならいい。けどそれは奥さんや子供にまで飛び火して、追いかけまわされて、その状況はすごく酷だなと思ったんだ。
記者会見に臨んだ時すら、納得しきれていなかった。だったら黙し通せばいいと言われるかもしれない。でも、それと引き替えに、マスコミが家を取り囲んでないという“平穏”を手に入れた〉(『ViVi』1994年9月号)
その田原が必死に守った娘も24歳に。2011年に『ミスマガジン2011』の準グランプリに選ばれ(同年のグランプリは現在、乃木坂46の衛藤美彩)、『綾乃美花』という芸名で芸能界デビュー。大学卒業を控えた2015年12月に本名の田原可南子で再出発を果たした。