モリカケ問題、財務次官のセクハラ、文科官僚の贈収賄……数々の不祥事を経て、霞が関の新たな幹部人事が決定した。人事一新で再生への道を歩み出せるのか。前途は大いに多難である。なぜならこの人事は、官僚腐敗の背景にある官邸一強支配の影響を、より濃く反映したものとしか見えないからだ。ノンフィクション作家の森功氏がレポートする。(敬称略)
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ついに霞が関の定例幹部人事が決まった。内閣人事局による協議を経て、内閣府や総務省、法務省など15の政府機関の事務次官や局長を正式決定した、7月24日の閣僚会議(閣議)発表は、モリカケ問題で揺れた昨年7月4日からさらに3週間遅れだ。定期異動といいながら、普段よりふた月近くもずれ込んだことになる。
遅れに遅れたそのタイミングもさることながら、異例なのは、それだけではない。これほど予想のつきにくかった官庁人事は、過去に見当たらない。その原因はとりわけ官僚トップを選ぶ官邸の思惑と各省庁の予定人事が食い違ったからだ。
なかでも尋常でなかったのが、財務省の首脳人事だ。G20財務相・中央銀行総裁会議でアルゼンチンのブエノスアイレスに行っていた麻生太郎財務大臣が24日の閣議の出席に間に合わず、7月末の閣議まで持ち越されたのが事務次官人事である。財務省トップの事務次官とナンバー2の国税庁長官が空席という異常事態のなか、人事が迷走を極めてきた。