100回を迎えた夏の甲子園を、特別な感慨をもって迎えた「老将」がいる。豊田義夫、82歳。今大会に参加した全国3939校で最高齢の監督だ。かつて激戦区・大阪で名門・近大附属を率いてPL学園や浪商(現・大体大浪商)と甲子園を争った“高校野球の生き字引”が、60年以上に及ぶ指導者人生にピリオドを打った今夏、時代とともに変わりゆく高校野球界への思いをジャーナリスト・鵜飼克郎氏が取材した(文中敬称略)。
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56校が入場行進した8月5日の開会式。大会の全試合を放送する朝日放送(ABCラジオ)のブースに、ゲストとして招かれた豊田の姿があった。
「聖地に来られなかった球児の分も行進してほしい」
グラウンドをじっと見つめ、声を詰まらせながら語る豊田。口にはしなかったが、“僕の分も……”と言いたかったのかもしれない。
豊田が高校野球の指導者となったのは1956年。会社員を経て母校・近大附属のコーチとなり、1965年に監督就任。3度センバツ出場に導き、激戦区の大阪で近大附属を「私学7強」の一角に押し上げた。
1984年の退任後も系列校で監督を歴任した豊田が「最後のユニフォーム」を纏ったのは、大阪から遠く離れた群馬・利根商業。就任3年目となる今夏、県予選2回戦で敗退し、同校の監督を勇退した。60年以上の監督人生で、夏の甲子園出場を果たすことは、ついに叶わなかった。