「熟女」という呼び名はいつ生まれたのか。明治・大正期にはまだ「熟女」という言葉はなく、江戸時代から続いた20~35歳くらいまでの女性への呼称「年増」が使われていた。戦後、台頭するのは「夫人」だ。
年増(江戸)から夫人(戦後)の間には、old maid(和製英語でオールドミス)の訳語である「老嬢」が使われていた。婚期を過ぎたのに結婚していない女性という意味だ。老嬢は明治期から戦後までに登場した痕跡がある。ジェンダー・セクシャリティ史を専門とする明治大学講師の三橋順子氏が解説する。
「1950年代の新聞小説でも“老嬢”が散見されます。また三島由紀夫の1954年の短編『復讐』には“25歳の老嬢”も登場します。字面からは想像し難いですが“年増”の後継語の意味合いもあったと捉えれば納得できます」
そして戦後に「夫人」という言葉が市民権を得る。1950年に不義と姦通を扱った大岡昇平の『武蔵野夫人』がヒットし、同時期にD.H.ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』もベストセラーになった。どちらも上流階級の女性が不貞に悩む姿がエロチックな印象を与え、「夫人」は情欲を含んだ言葉として広く知られるようになった。
1975年には、五月みどり主演の東映ポルノ『五月みどりのかまきり夫人の告白』が公開され、三十路の熟れた体と魔性の女ぶりで男たちを虜にした。五月をはじめ『軽井沢夫人』の高田美和や松尾嘉代の『プレイボーイ』誌でのヌード、1981年にはロッキード事件で知られた田中角栄の秘書官、榎本敏夫の妻・榎本三恵子が『ペントハウス』で34歳の体を披露するなど、「夫人」層の裸体が話題になる。こうした時代に、満を持して「熟女」が登場する。