病は治るが癖は治らぬというが、犯罪についても似たようなことが言える。詐欺のニュースで逮捕された容疑者の名前を調べると、若い頃から同じような詐欺を繰り返していることが少なくない。引退を決意したときになって、家族も詐欺以外の生き方を無くしてしまったことへの後悔を語る男の告白を、ライターの森鷹久氏がレポートする。
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「正直、やめるタイミングを見失ったという感じでしょうか。妻も知っているというか……妻もシゴトを始めてしまい……」
東京都内に住む宮本浩介さん(仮名・50代後半)は、古くは電話加入権融資からリフォーム詐欺、最近ではリゾート地購入権詐欺や投資詐欺などあらゆる「詐欺」を生業としてきた。書類送検されたことは数あれど「ブタ箱(※留置場)にぶち込まれたことはない」(宮本さん)というのが、酒の席での自慢話だ。債務整理や自己破産も経験したが、これまで被害者に弁済した金はゼロだ。
妻や妻の親族らと共謀し、資産だけはどうにか保全してきたという。今は「新たな仕事」を模索中だというが、本音の部分でいえば「もっと正直に生きてきたかった」と感じているという。
宮本さんはなぜ詐欺師となり、やめられなかったのか。
「遡れば、きっかけは1980年代後半のバブル経験です。大学を出て不動産会社に就職し、年収は3000万を超えていました。通勤は会社から出るタクシーチケットで、飲みも遊びも全部会社の経費。年に三回も社員旅行があった。でも、会社は裏で“架空の土地取引”などを行い、損失が出たと見せかけて脱税もしていた。ただ、それが最後までバレなかった。バレなきゃやらないと損でしょ、という感覚はここで培われたのかもしれない……」(宮本さん)
その後、バブルが弾けると会社はあっさり倒産。突然、放り出された社員は路頭に迷うか、と思われたが違った。全員がバブルでおいしい思いをしてきた連中だ。高い生活水準を維持すべく、元社員が一丸となって立ち上げた会社こそが「詐欺の総合商社」ともいえる会社だったのだ。
「固定電話を持っている人々に融資するという仕事が最初でした。今でいう少額の闇金です。1990年代には自家用車融資、090金融もやりましたが、警察など当局の縛りがきつくなってきてからは、ホンモノの詐欺に手を出しました。最初は金融がらみの詐欺。債券や権利書、手形をだまし取る”パクリ屋”から始まって、頭を使わないリフォーム詐欺、投資詐欺……。我ながらいろいろやってきたなあと思います」(宮本さん)