【書評】『世界でただ一つの読書』/三宮麻由子・著/集英社文庫/640円+税
【評者】川本三郎(評論家)
文学作品のなかにはこんなにも多様な音が表現されていたか。まったく気づかなかった。
著者は四歳の時に視力を失った。自身の言葉で言えば「シーンレス」。だから音に敏感になる。漱石の「坊っちゃん」は音にあふれた小説だという指摘がまず新鮮。汽船が港に着いた時の音。宿屋の騒々しい笑い声。生徒たちの大声。さらには蚊の飛ぶ音。赴任地になじまなかった主人公の違和感が音で表現される。
騒音のなかには東京で聞いた懐しい音もある。三味線や太鼓の音。坊っちゃんが最後に東京に戻るのはこの懐しい音に導かれたからだという。これまで誰も言わなかったことではないか。吉本ばななの「TSUGUMI」は海の小説だとしたあと、海の音は太平洋、日本海など海域によって違うと言う。これにも驚く。
小川洋子「博士の愛した数式」、池澤夏樹「南の島のティオ」など現代の小説だけではない。「アラビアンナイト」や「モンテーニュ旅日記」、スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」まで論じる。「アラビアンナイト」は約十年かけて点字で読了したという。何より面白かったから。どこがか。御馳走の描写が豊かだし、音楽の調べが聴こえてくるから。