近年、カトリックの聖職者による性的虐待問題がたびたび大きく報じられている。これはキリスト教固有の問題かというと、そうとも限らない。評論家の呉智英氏が、仏教と性の関わりについて考えた。
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八月に出た森本あんり『異端の時代』(岩波新書)を読了。三年前の『反知性主義』(新潮選書)も時宜を得た好著だったが、本書もキリスト教史を検証しながら異端・正統を論じ、現在の思想状況を考える視点を提供して興味深い。
しかし、非キリスト教徒の立場からは首を傾げる記述もある。
「一般に、キリスト教に限らず宗教はみな禁欲的なものだ、と思われている」「特に性に関しては、僧侶の独身制や修道院制度などが目につくためか、厳格で禁欲的な印象を受ける」が「キリスト教に関して言えば」「誤解である」
「聖書は人間の性については一貫して肯定的」だ。「人間がその肉体的な性を含めてすべて神の善なる創造物だ」からだ、と。
いや、それは夫婦の“健全な性”についてであって、獣姦や同性愛や児童性愛まで「神の善なる創造物」がすることだからといって肯定的なわけではないだろう。