放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、フランスの名優・アラン・ドロンについて。
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「めったに番組告知はしないのですが、今回、知り合いの“オーバー50”女性たちにメールで知らせたところ、5分後からケータイが鳴りまくりで驚きました」
とは、9月22日(土)午後10時30分~11時29分にオンエアされる『アラン・ドロン ラストメッセージ~映画、人生…そして孤独』(NHK BSプレミアム)のスタッフに名を連ねる女性プロデューサーの弁。
ちなみに、オーバー50女性たちからの代表的リアクションを記すと、「ドロンに会ったの? どうやって? いつ?」(70代女性)、「私は『太陽がいっぱい』を少なくとも30回以上は見ているのよ」(60代女性)、「中学生のとき、『ロードショー』と『スクリーン』という2つの雑誌を本屋さんで見比べて、ドロンの記事が多いほうを買っていた」「(50代女性)、「『若者のすべて』を見て、真剣にイタリア語を習い始めた」(50代女性)など。
「そうした声を聴いていて、やっぱり、皆さん、アラン・ドロンが好きだったんだなと改めて思うと同時に、私も一気に青春時代に戻った気がしました」と、当の女性プロデューサーもコーフンが抑えられない様子だった。
レオさま(レオナルド・ディカプリオ)も、ブラピ(ブラッド・ピット)も、ヨンさま(ぺ・ヨンジュン)も、グンちゃん(チャン・グンソク)もこの世に生まれる前、日本女性の多くを虜にしていたのがフランスの映画俳優、アラン・ドロン。
件のリアクションの中に出てくる『ロードショー』は、『月刊明星』と同じ集英社。『スクリーン』は、『近代映画』と同じ近代映画社が発行元で、どちらも洋画専門の映画雑誌だったのだが、当時の若い女性たちは、それらの雑誌を、いまでいうアイドル誌のように位置付け、買い漁ったものである。
まだ“イケメン”という言葉も“外タレ”という言葉もなかったけれど、日本女性が好む、最強のイケメンであり、最大級の外国人スターがアラン・ドロンだったのだ。
それがどれほど一般に浸透していたかというと、1977年の元日にデビューした榊原郁恵が同年10月に発売した4枚目のシングルが、『アル・パシーノ+アラン・ドロン〈あなた』というタイトルだったことでもわかろう。当代きっての大スター、アラン・ドロンよりも“あなた”が好きだという健気な気持ちを歌ったものだ。
件の女性プロデューサーも青春時代を振り返る。
「私が10代の頃、映画は映画館で見るものでした。封切館とは別に名画座があった時代です。そんなとき、ふとしたことで見た『冒険者たち』に魅了され、アラン・ドロンを知りました」
同年代の女性たちがみなそうであったように、彼女も「国宝級、いえ、世界遺産ともいってもいい美貌の虜になりました。当時、ドロンを好きではない女性がいたでしょうか?」と言っていた。
当時、日本はグループサウンズ(GS)ブームでもあり、私のクラスメイトは、、沢田研二がいるザ・タイガースと、萩原健一がいるザ・テンプターズを支持するグループと、それとは別に加山雄三をこよなく愛するグループがあったと記憶する。