病室の窓の向こうに、大きな海が広がる。海岸の近くにある病院で、個室のベッドから身を起こした女性はこう言った。
「このまま生きていても、寝たきりになって周りに迷惑をかけるだけ。だから私は、スイスに渡って安楽死をする準備を進めています」
難病のため一語一語を確かめるようにゆっくりと発音するが、意識は明瞭だ。
彼女の言葉を真剣な表情で聞くのは、ジャーナリストの宮下洋一さん(42才)。宮下さんは、2年の歳月をかけて世界6か国を訪問し、2017年12月に安楽死に関する取材をまとめた『安楽死を遂げるまで』(小学館)を刊行した。この9月、第40回講談社ノンフィクション賞を受賞するなど反響が広がっている。
「連載や本を読んだ多くのかたから『どうしたら安楽死できますか、死ねますか』という連絡をメールや手紙で何十通もいただく。日本でも安楽死についての関心が高まっていると感じます」(宮下さん)
現在、日本では安楽死は認められていない。病院で宮下さんと向き合う女性も、異国での安楽死を強く望んでいる。この日、病を押して約3時間に及んだ宮下さんとの対話の最後に、彼女はこう言った。
「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は“お守り”のようなものです。安楽死は、私に残された最後の希望の光なんです」
死ぬことが「希望」だと言う彼女の言葉は、いったい何を意味するのだろうか──。
◆日本での議論はタブーとされてきた
オランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、米国のオレゴン州、ワシントン州など、欧米では一部の国や地域で容認される安楽死だが、これまで日本ではあまり議論が深まらなかった。
終末期医療が専門で、一般財団法人日本尊厳死協会副理事長を務める長尾和宏医師が指摘する。
「日本では最近まで“少しでも長く生きてもらう医療”が最善とされてきました。それゆえ、患者の死の自由を認めるような安楽死はもちろん、自然経過に任せた最期である尊厳死の議論さえもタブー視されてきました」
しかし、超高齢化が進んで「自分の死に方」がリアルな現実となるなか、近年は日本でも安楽死が真剣に議論されるようになった。