官僚たちが世間を賑わす事件が相次いでいる。高度経済成長の立役者と言われた官僚機構はなぜ崩壊したのか。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏と思想史研究者・慶應大学教授の片山杜秀氏が語り合った。
佐藤:国を豊かにしたいという使命感は持ってしかるべきです。国際的には標準的なエリート官僚の考え方と言えます。でも「持たざる国」を「持てる国」に変えるのは陸軍だけでは不可能でしょう。
片山:国家の方針の問題ですからね。たとえば、陸軍の軍人だった永田鉄山は神がかった精神主義だけでは「持たざる国」が「持てる国」に対抗できないと考えた。そこで陸軍だけでなく、内務省、大蔵省、農林省、商工省などの省庁を巻き込んで1927年に総力戦のために必要な資源などの調査研究を担う内閣資源局を作ります。また石原莞爾は、満洲国建国によって日本を「持てる国」に変えようと考えた。ただし、彼らは陸軍のなかでも特殊な思想を持つ一部の人間だったということも忘れてはいけない。
佐藤:そう思います。多数は、凡庸な人間たちです。私は文書作成能力が高い人間から昇進していく旧陸軍の人事システムに問題があったと考えているんです。
戦前、旧陸軍が最後に近代戦を経験したのは、1904~05年の日露戦争です。次が1938年に満洲でソ連と衝突した張鼓峰事件。33年間も実戦を経験していない軍隊で、出世するのは文書作成に長けた軍人です。
もちろん企画立案も、その企画の実行も、その評価も陸軍内で行われる。客観的な外部の評価を受ける環境ではなかった。するとどうなるか。身内を身内が評価するわけですから、何があっても「成功」か「大成功」にしかならない。