「貴の乱」という言葉が初めて使われたのは、2010年の理事選だった。
当時、角界最大勢力を誇っていた二所ノ関一門内の“候補者調整”に反発した貴乃花親方が、一門を割って出て理事に立候補。同調者が相次ぎ、当選を果たす。追随した他の親方とともに「貴乃花グループ」を形成し、2014年には「貴乃花一門」の旗揚げが認められた。
今回の突然の引退騒動の真相には、「かつて決別した仇敵一門」が深く絡んでいる。秋場所中に貴乃花親方と直接話した後援者の一人が証言する。
「7月に理事会が、“すべての親方は5つの一門のいずれかに所属しなければならない”と決めたことを受け、旧貴乃花一門の親方衆で構成する“阿武松グループ”が揃って二所ノ関一門に入ることになった。そのことに貴乃花親方は非常に憤慨している様子で、『これはショックですよ……』と言葉を失っていました」
貴乃花親方は9月25日の引退会見で、昨年、横綱・日馬富士(当時)が起こした暴行事件への対応を巡って、内閣府に提出した告発状が「事実無根」だったと認めるよう協会から圧力を受けたと明かし、それが引退の理由だと説明していた(協会は圧力を否定)。
だが、真相は違うところにありそうだ。