大正初期の東京を東京に生まれ育った「東京者」の立場から描いたのが、永井荷風の『日和下駄』【2】。フラヌール(散策者)となって下町の路地、横丁、裏通りを歩き、失われつつある「古き良き東京」を見つける。序文で「夢の世の形見」を伝え、「後の日のかたり草の種」になればいいと書く。荷風自身は文部省の役人の長男として生まれ、親の遺産で遊び、麻布という当時の新興住宅街に住む。自分は見る者でしかないという自覚があるのが面白い。
地方出身で、東京で生き抜く若い女性の先駆け的な存在が林芙美子だ。大正11年(1922年)恋人を追いかけて広島県尾道から上京し、職業も住居も同棲する男も転々として文学を志した。その自伝的な小説『放浪記』【3】は、今で言うフリーターが見た関東大震災前後の「東京貧民街案内」としても読める。一時期夜店を開いていた渋谷の道玄坂の、ざわついた感じの描写などが面白い。
現在の千代田区神田猿楽町に印刷所の校正係の息子として生まれたのが永井龍男。執筆、刊行は戦後だが、小説『石版東京図絵』【4】で、神田生まれの職人の子供の生涯を通し、明治末から大正期の東京の下町の様子と、そこに住む職人の姿、気質を描いた。ベエ独楽、メンコ、石けりなど子供たちの遊びが懐かしい。
野坂昭如『新宿海溝』【5】は、1960年代に入って雑誌でコラム、ルポなどを書き始め、昭和43年(1968年)に直木賞を受賞するまでの自伝的小説。無頼と、その裏の小説家に憧れ、焦燥する日々が描かれているのだが、驚くべきは著者の記憶力だ。出来事のディティールだけでなく、関わりのあった編集者、作家など170人近くと、出入りしていた新宿を始めとする都心のバー、ナイトクラブ、ゲイバー、ジャズ喫茶など100余りがすべて実名で書かれている(巻末に索引までついている)。優れた「東京盛り場案内」だ。