「東京」を知るために読まないと後悔する本を7作、仏文学者で作家の鹿島茂氏が選んだ。
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パリには昔のパリがあり、東京には昔の東京はない。そもそも日本には街の景観を残す発想がない。そのため土地取引や開発、建築に関する私の権利が強く、裏返せば公の規制が弱く、街のスクラップアンドビルドが容易に、無秩序に行われてしまう。加えて関東大震災のときがそうであったように、大地震が起これば嫌でも街は一変せざるを得ない。
人々が慣れ親しんだ街並みは記憶の中にしか残らず、それもやがては薄れゆく。街の光景が変われば、人々の心のあり様も変わっていく。
私は「失われた東京」に強い愛着を持つ。そこで、ここでは「失われた東京」が描かれた文学作品を選んだ。それは一人ひとりの作家が体験した私的な東京の姿であり、全体を俯瞰したものではない。だが、図らずも優れた東京論になっている。
現在の群馬県館林市から本格的に上京した明治19年(1886年)から大正初期までを回想したのが田山花袋の『東京の三十年』【1】。島崎藤村ら若き文学者との交流とともに、「江戸」から「東京」への変貌を描く。花袋のような「上京者」にとって東京は夢を追う場所だった。上京当時に住んだ牛込市ヶ谷はまださびしい野山で、東京府庁舎のあった内幸町周辺には高い火の見櫓が残り、老舗の店前からは番頭と小僧の掛け合いが聞こえてきたという。そんな江戸の面影も、20世紀に入って路面電車が開通するとすっかり消えた。