「Web2.0」という言葉に象徴されたように、インターネットが普及し始めた当初、多くの人はウェブに対して大きな希望と期待を抱いていた。だが、普及とともにウェブは決して万能のツールではないことに気づいていく──。その過程に何があったのか。『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第3回)
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橘:中川さんは、ずっとインターネット上の人々の行動をウォッチし続けていると思うのですが、最初にインターネットの仕事をされたのはいつ頃ですか?
中川:1994年の大学2年生の時に電子メールは始めていたのですが、仕事としては1997年に、博報堂に入ってからです。その年、ソニーがクライアントで、仮想空間を作ろうというプロジェクトを立ち上がって、そこのお手伝いをしたのが最初なんです。
橘:その時はネットに対する希望というか、期待があったわけですよね?
中川:すごくありました。海外に友人が住んでいたんですけど、一瞬でつながる、しかもタダで、という具合です。その頃は国際電話をするにも1分500円くらいするのに、タダでコミュニケーションできてしまうわけですよね。当時、コンピュータ系の雑誌や本を熱心に読み、ネットに詳しかった上司が仮想空間の企画を考えていたんですけど、これって今思えばすごい話でした。自分の代わりのアバターというのがいて、こいつが別の所にいる人と仮想空間上で会えて、いろいろ面白い開発ができるんだと力説するんですよ。
1997年段階で、アメーバピグとかセカンドライフ、そして昨今隆盛のソーシャルゲームみたいなことをその人はすでに考えていたんです。なんでこんなことを彼が考えたかというと、ソニーが大企業病に陥っていて、出井伸之氏が提唱した「デジタル・ドリーム・キッズ」というワクワクするような概念が社内から消え、ソニーが悩んでいると言われていた頃でした。
じゃあそれをどう打ち破るかということで、インターネットを使った新しいものをやればいいと私の上司は考えました。どういうプロジェクト名にするかとなって、“びびんちょプロジェクト”はどうかと言ったんですよ。子供っぽいじゃないですか、平仮名で“びびんちょ”って。それでネットを使える人が自由に発言してソニーの社員もそこに入って、イノベーションを起こせばいいと彼は力説しました。だから私自身のネットでの仕事の開始は1997年です。今、この上司は博報堂の役員になっています。先見の明がある方でした。