テレビ出演は、芸能人の人気バロメーターと考えられている。しかし、テレビスターで居続けることの不幸はあまり語られない。9月24日放送の『有吉ゼミSP』(日本テレビ系)で、女優・田原可南子が父・田原俊彦について話した。父が娘のために撮り溜めたアルバムは30冊。「病院を退院して初めて家にきた日」「初めてペアルックした日」の写真を撮るなど何でも記録し、今でも娘が幼い時に作った『クマの折り紙』を財布に入れて持ち歩いているという。父・田原俊彦が娘・可南子を愛情深く育てたと窺える内容だった。
スターとしての光と闇を経験してきた田原俊彦にとって、幸せはどこにあったのか。『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の著者である芸能研究家・岡野誠氏が“テレビスターと幸せ”について考える。
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〈スポーツ選手は、選手生命は短いけど、“やった”という卒業証明書というか、納得が得られる。でも、僕ら芸能界はちょっと違うんですよ。いつまでたっても一線じゃなきゃ証明書をもらえないし、忘れられる〉(1994年7月2日放送 フジテレビ系『土曜大好き!830』)
田原俊彦のこの発言からもわかるように、世間は人気タレントをテレビで見掛けなくなると、「消えた」などとマイナス的に語る。1990年代と比べれば、現在はそんな見方も減りつつあるように感じるが、未だに偏見を持たれがちだ。だが、一生テレビに出続けることは果たして幸福なのか。
デビューから15年間、田原俊彦はテレビで輝きを放ち続けていた。1979年10月26日開始の『3年B組金八先生』(TBS系)で脚光を浴びると、1980年6月21日に『哀愁でいと』でレコードデビュー。同年、2曲目『ハッとして!Good』で日本レコード大賞の最優秀新人賞に輝く。『NHK紅白歌合戦』にも『哀愁でいと』で初出場した。
1987年『ラジオびんびん物語』で連続ドラマ初主演を果たすと、翌年の『教師びんびん物語』(以上、フジテレビ系)で全話平均22.1%と高視聴率を叩き出す。主題歌『抱きしめてTONIGHT』も大ヒットし、人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で年間1位を獲得した。1989年の『教師びんびん物語II』(フジ系)では、『月9』枠で初の視聴率30%超え(最終回6月26日31.0%)を達成した。