台風24号が日本列島の北へ抜けた10月2日、晴天の下で学習院女子中等科・高等科合同の運動会が開催された。クラス対抗の競技に夢中になる愛子さま。じきに秋が終わって冬になる。この12月で、雅子さまが療養生活に入られてから、ちょうど15年を迎える。
折しも皇室は、来年の「御代がわり」に向けた準備を進めている最中だ。来年2月には今上天皇の在位30年式典が行われ、4月末日から退位・即位に関する儀式が続く。5月1日にはいよいよ徳仁天皇が即位し、雅子さまが新しい皇后になられる。
この15年、苦難の道を歩かれた雅子さまだが、最近の順調な快復ぶりは驚くほどだ。
今年8月には、皇太子ご一家が夏休みの恒例とする那須御用邸の静養で、ご一家が御用邸の敷地内を散策する様子の取材が史上初めて許可された。また那須塩原駅では、雅子さまと愛子さまが約20分にわたって市民らと会話を交わされた。いずれも極めて異例の出来事である。
長いトンネルを抜け、やっと出口が見えてきた──最近の雅子さまの柔和な表情から、そんな希望が読み取れる。振り返れば2003年12月、雅子さまは突如体調を崩して宮内庁病院に入院、療養生活に入られた。その時、愛子さまは2才になられたばかりだった。
2004年7月には「適応障害」との病名が発表された。キャリアウーマンの雅子さまを取り巻く環境が結婚を機に一変し、そのストレスに適応できず、適応障害を発症したとの見立てだった。
だが、雅子さまの病状がなかなか快復しなかったこともあり、この診断には現在に至るまで多くの疑義が寄せられてきた。これまで“本当の病名”として「強迫神経症」「不安神経症」「自律神経失調症」など多くの病気が挙げられた。
「これまでの雅子さまの病状の経過を振り返ると、適応障害との診断は不適切だと思います」
と改めて指摘するのは、精神科医の片田珠美さんだ。