マスコミを賑わせた元貴乃花親方の退職・引退劇。ここへきて新たに、貴ノ岩関が元横綱日馬富士関に対して高額の慰謝料を求めて提訴するなど、混乱は当分収まりそうにない。果たして日本相撲協会のガバナンス(組織統治)はまともに機能するのか──。組織論を専攻する同志社大学政策学部教授の太田肇氏が角界の問題点をあぶり出す。
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元貴乃花親方をめぐる一連の退職騒動、そして昨年10月に起きた力士同士の暴行事件が尾を引き、貴ノ岩が日馬富士を訴えるという異例の事態に発展している現状を見る限り、日本相撲協会の「ガバナンス不在」が改めて浮き彫りになっている。
協会としては元貴乃花親方の退職の一因になったとされる「一門」の所属義務を強化することで改革を行ったつもりかもしれないが、納得がいかないという人も多いだろう。
もともと角界の一門制度とは、複数の部屋からなる一種の派閥であり、明治時代以前から存在したといわれる。各部屋にとって一門に所属するのはこれまで任意だったが、改革によって所属が義務づけられるようになった。
一門強化の表向きの趣旨は、昨年、元横綱日馬富士の暴行事件をめぐって指摘された協会の「ガバナンス欠如」という批判に応えることだった。今回の改革によって、これまでは派閥に過ぎなかった一門は、協会トップと部屋の中間に位置する中間組織として位置づけられたわけであり、相撲協会も形式的には企業や役所のような階層型の組織になる。
しかし、企業や役所の部・課は営業部、企画部、人事課、広報課というように役割ごとに設けられるが、一門に属するのは同列の各部屋であり、それぞれの一門が役割を分担するようにはなっていない。つまり一門の役割を強化する必要性がはっきりしないのである。
◆「力士ファースト」どころか力士不在の改革
そもそも相撲協会のガバナンス欠如が指摘されるようになったきっかけは、力士に対する暴行事件である。一連の騒動で元貴乃花親方がこだわってきたのも暴力を容認したり隠ぺいしたりする協会の体質改善であり、弟子が安心して相撲に打ち込める環境を確保することがねらいだったはずだ。貴乃花親方が相撲協会に対する告発を取り下げたのも、委員から平の年寄へ降格されたのも自分の弟子による暴行が理由である。
こうした背景を踏まえて組織を改革するなら、力士の安全や人権、そして相撲に専念できる環境づくりを第一に考えて行われなければならない。ところが一門の役割強化という組織の改革は、部屋や親方ばかりに焦点が当てられており、肝心な力士の存在が見えない。「親方あって力士なし」の印象を受ける。
注意しておくべきなのは、部屋や親方の権利と力士の権利とは必ずしも一致しないということだ。一致しないばかりか、しばしば対立するといってよい。それはアメフト、レスリング、ボクシングなどスポーツ界で続発する暴力やパワハラをみればよくわかるだろう。指導者のワンマンや独善がそれを招いたことは疑いがない。
だからこそアマチュア・スポーツ界では「アスリート・ファースト」の標語のもとに、指導者の暴走を防ぐ改革に乗り出しているのだ。それに対し大相撲の世界では、「力士ファースト」どころか力士抜きに改革が進められているのが現状である。
改革によって一門の役割や存在感が大きくなれば、それだけ各部屋の姿は後景に退き、部屋で何が行われているかはかえって見えにくくなる。力士と協会執行部との距離も遠くなる。
会社でいうなら、平社員にとって社長や役員がますます遠い存在になるようなものだ。企業では内部の風通しをよくするため組織のフラット化、スリム化が進められようとしているが、協会の組織改革はそれにも逆行しているかに見える。しかも、各部屋はすでに存在する一門のどこかへ自分から入れというのでは、ガバナンス強化に名を借りた「貴乃花外し」ではないかと批判されてもやむをえないだろう。