酒のツマミに“和・洋・中”と何でも揃っている「総合居酒屋」の凋落が叫ばれて久しい。リーマン・ショックや東日本大震災を経て、サラリーマンの外飲み機会が極端に減ったことや、食事と一緒に軽く飲む「チョイ飲み」ブームが続いていること、そして若者のアルコール離れなど、さまざまな要因が重なった結果といえる。
日本フードサービス協会の「外食産業市場動向調査」(2017年)でも、居酒屋業態は店舗数・客数・客単価ともに前年を下回り、売上高はなんと9年も連続して前年割れしている。
だが、1970年代に日本の大衆酒場文化を築いた老舗の居酒屋チェーンは、全盛期に比べて店舗数は減っているものの、しぶとく強く生き残っている。その代表が「つぼ八」「村さ来」「養老乃瀧」の“旧御三家”といわれる居酒屋だ。昭和のサラリーマンにとってはお馴染みのブランドだろう。
近著に『居酒屋チェーン戦国史』(イースト新書)がある外食ジャーナリストの中村芳平氏は、「総合居酒屋チェーンは、まだ終わったわけではありません」と話す。
「大衆チェーンの難点は、飽きられること。高級料亭のように100年も続くなんてことはなく、単一ブランドでは30年が限界だという説もあります。でも、料理、人材、サービスの質を上げながら、地道にブランドをブラッシュアップさせて30年以上生き残ってきたのが旧御三家の居酒屋チェーンです。
もちろん、その間には新しい業態も次々と開発しています。例えば、つぼ八グループの『ホルモンの美味しい焼肉 伊藤課長』や、養老乃瀧の『一軒め酒場』など。村さ来の運営会社も郊外型のダイニングレストラン『とりあえず吾平』など数多くの居酒屋チェーンを展開していますが、どこも創業の看板は降ろしていません」(中村氏)
事実、ともに1973年創業の「つぼ八」と「村さ来」は、現在もそれぞれ100店以上の店舗があり、つぼ八は創業の地である北海道に多く、総店舗数は190を超えている。
そして、横浜市曙町(神奈川)に1号店を開店したのが1956年と最古参の養老乃瀧は、郊外や私鉄沿線を中心に全国で360店舗を展開している。全盛期には1500店舗を超えていたというから、店舗数こそ大きく減らしてはいるが、まさに大衆酒場文化を築き、その価値を最大化させた立役者といえる。
養老乃瀧が創業から60年を超えてもなお、支持される秘密は何か──。