9月末から行われている福井国体では、甲子園で2度目の春夏連覇を果たした大阪桐蔭が勝利を重ね、公式戦無敗で今年のシーズンを終える快挙を達成した。その大阪桐蔭は、野球部はもちろん、アルプスで選手たちの背中を押す吹奏楽部の素晴らしさでも知られる。同校をはじめ、吹奏楽部の指導者は熱い先生たちばかりだという。ある吹奏楽部員の短い人生を描いた『20歳のソウル』著者で脚本家の中井由梨子氏が、吹奏楽作家として知られ、吹奏楽に関する数々の著書もあるオザワ部長に「吹奏楽部の先生たちの特徴」について聞いた。
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茨城県の常総学院は言わずと知れた高校野球の名門校だ。その常総学院は、吹奏楽部でも全国的に有名になっている。オザワ部長によると、「もともと、野球部を甲子園に行かせたい、その応援のために吹奏楽部を作ったらしいのですが、指導する先生方は『吹奏楽部も、必ず野球部と肩を並べる全国レベルの部活にしてみせる!』と燃え、名門にまでなったのです」という。
吹奏楽部の指導者って、みんな熱い人ばかりなのか?
わたしは今夏、縁あって『20歳のソウル』という本を上梓させていただいた。市立船橋高校の吹奏楽部で同校の応援歌『市船soul』を作曲した浅野大義さんが題材だ。その浅野さんは、2017年1月、がんのため短い生涯を閉じた。享年20。彼の告別式には、市立船橋高校吹奏楽部OG・OB164人が集まり、この『市船soul』を演奏。たったひとりのために集まった、たった一度きりのブラスバンドだった。その小さな奇跡をきっかけに取材を重ねる中で、吹奏楽部の素晴らしさを知った。
その取材でお世話になった市立船橋高校の高橋健一先生の熱さにも圧倒された記憶がある。オザワ部長の著書『一球入魂! 一音入魂!』を読んでも、とにかく吹奏楽部の指導者の方々の熱量がすごいのだ。
「確かに、吹奏楽部の顧問はみなさん熱いですね。例えば大阪桐蔭の吹奏楽部の指導者は、は梅田隆司先生。コンサートに行くと度肝を抜かれますよ。コンサートって、普通は曲目が決まってそれに沿ってやっていきますよね。ところが梅田先生は、当日に変えちゃったりする。それも急に『前にやったミュージカルをやろう』と言い出したり……踊りも歌もあるんですよ(笑)。観客に好きな曲を選ばせることもあります」(オザワ部長、以下同)
50曲の中から好きなものを選んでもらうらしく、それはつまり50曲分のレパートリーを生徒がすべて頭に入れていなければいけないということだ。
「梅田先生は、『コンクールは演奏のクオリティを上げる手段であって、目的ではない』と常々話されています。部活というとコンクールで成績を収めることが目的の中心になりがちですが、梅田先生の考えでは、他校と競うことはあくまで演奏のクオリティを上げるための活動ということ。そこで培った技術をコンサートや野球応援で多くの人に披露することが、彼らにとって大切なことなのです」
コンクールは通常55人しか出場できない。けれど、そのためには全員で練習し、全体のレベルが上がる。そして野球部の応援は全員でできるし、何万人もの観客に聴いてもらえる。応援をしながら音楽をする喜びを味わえる場という意味で、野球応援での演奏は特別の意味があるのだ。
「千葉県の名門・習志野高校の石津谷治法(いしづや・はるのり)先生もとても面白い先生です。ユーモア満点でエネルギッシュな語り口調が印象的な方。『東関東大会の前は緊張と悪夢で一週間眠れない』といったことを、言葉とは裏腹に嬉しそうに話されていました。名門校の先生には独特のプレッシャーがあるのだと思います」
吹奏楽の経験がないのに名指導者となった人もいる。