1990年代、世間を騒がせたのがヘアヌードブーム。1991年に発売された樋口可南子の写真集『water fruit』(篠山紀信撮影)の発売でヘアヌードが事実上解禁され、熱狂的なブームを巻き起こしたが、日本のヌード写真集の歴史はその20年以上前から始まっていた。芸能や出版、アートの分野に精通する小澤忠恭、亀和田武、伴田良輔の3氏が「昭和のヌード写真集」を180分語り尽くした座談会。前半では関根恵子、森下愛子、川上麻衣子、手塚さとみ、秋吉久美子らが俎上に上がったが、後半は「ヌード写真集のあり方」でトークは盛り上がる──。
小澤:原因は男なのか金なのかわかりませんが、追い詰められた自分の状態を、ヌードになって気持ちを高揚させて乗り越えようとする人もいる。そのとき、カメラマンに「抱いてくれ」と迫ってくる人もいます。自分だけリスクを冒すのは嫌だって。
亀和田:共犯関係になってくれ、と?
小澤:そう。脱ぐということは、「異界」に行くことなんですね。そして、女優というのは異界に行くことに慣れている。
伴田:僕も女優のヘアヌード写真集を撮ったとき、相手がガンガン迫ってくる真剣勝負に緊張したし、汗もダラダラでした。
小澤:セックスより疲れると思いますよ、ヌードを撮るのは。
伴田:究極的には「お前は何者なんだ」と問われますし。
亀和田:僕は昔、自販機本と言われた雑誌のヌード撮影の現場に立ち会いましたけど、今のお話に比べると、脱ぐことを職業にしている人たちはあっさりしていましたね。気持ちの高揚はありませんから。今回取り上げる写真集の中で1人だけ女優ではないのが、1972年から1977年まで『平凡パンチ』のグラビアで一世を風靡した麻田奈美です。