去る10月6日、町田樹さん(28)が、フィギュアスケートの実演家を引退した。現役時代は2014年ソチオリンピック代表、同年の世界選手権では銀メダルを獲得。現役引退後は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に進学し、研究と両立しながら、プロスケーターとして、独創性あふれる演技を披露してきた。今春から慶大と法大で非常勤講師を務めるなど研究が多忙を極めるなかで、キャリアを一本に絞るという決断を下した。
■綺麗ごとだけでは生きていけない
フィギュアスケーターとしては遅咲きだったと言っていいだろう。23歳で初出場したソチオリンピックの前、町田さんは自身を「第6の男」と呼んでいた。つまり、当時6人いたオリンピック候補のなかで、最下位の存在だと。その位置から見事、オリンピックの切符をつかんだ町田さんに注目が集まったとき、ファンは町田さんの演技のみならず、演技同様に独創的な「言葉」にも魅せられることになる。
NEWSポストセブンでも、町田さんの言葉に魅せられて、かつて町田さんにインタビューをした。そのとき、町田さんの強靭な言葉を支えるものの一つが、豊富で多彩な読書だと知った。
たとえばソチオリンピックシーズンのテーマに掲げたのは「ティムシェル(timshel)」。ジェームス・ディーン主演で映画化されたスタインベックの名著『エデンの東』に出てくる言葉だ。「ティムシェル」とは、本の中では「汝(なんじ)、治むることを能(あた)う」と訳されているが、町田さんは独自の解釈をした。「『君次第だ』と言われている気がしたんです。自分の努力次第で光をつかめる、とこの本から学んで、奮起しました」(町田さん、2014年インタビュー時、以下同)。
読書は、言葉そのものを豊かにするだけではなく、町田さんにとって生き方や考え方、また、演技そのものにインスピレーションを与える源でもあった。
東野圭吾の大ファンだという町田さんは、ドラマ化もされて大ヒットした『白夜行』をエキジビションプログラムとして選択、初めて自身で振付を行った。表現したのは、主人公・桐原亮司の大いなる葛藤。「彼のやっていることは邪悪なんだけど、それをやるモチベーションは純粋なんですね。そこに大きな葛藤がある。生きていると多かれ少なかれ、どんな人も葛藤を抱えていると思います。綺麗ごとだけでは生きていけない」(町田さん)
あるいは、日本初の心臓難手術(バチスタ手術)を行った須磨久善から多くのことを学んだという町田さん。『外科医 須磨久善』(海堂尊著)を折に触れては読み返し、試合に臨む心構えや、精神の落ち着かせ方などの参考にしたと語ってくれた。「一流とはどういうことか、ということをよく考えます。僕はフィギュアスケーターとしても、人間としても一流になりたい。そのためにいろんな考え方や生き方を知りたくて本を読みます」(町田さん)