【書評】『野見山暁治 人はどこまでいけるか』編・構成 のこす言葉編集部/平凡社/1200円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
〈毎日絵を描く。だって絵描きだもの。じゃあ、あと何をするよ。十時半ごろからとにかく午前中はずっと描いている。〉と、野見山さんは語りはじめる。話し言葉でつづる波瀾万丈の一代記。
野見山さんは九州飯塚市の炭鉱業の子として生まれた。三男四女、七人きょうだいの長男。17歳のとき上京して東京美術学校(東京芸術大学)油画科に入学するが戦争に応召となる。満州で病に臥して入院し、福岡の傷痍軍人療養所で終戦を迎えた。
27歳のとき、妹の同級生内藤陽子と結婚して、フランスへ行こうとすると、外務省に、絵描きにはパスポートを出さないと断られた。妻が豆腐を買って包んできた新聞に、「フランス私費留学生募集」の記事が載っていた。31歳でフランスへ行き、あとからパリへ来た妻が癌を患って死んだ。
マドリードに滞在し、43歳のとき、帰国して田中小実昌の一家と同居した。50歳で福岡在住の武富京子と再婚し、東京と福岡で別居生活を送る。東京芸術大学教授となるが、「芸大では大学紛争にあいました」。
〈結局、十三年ほど芸大に勤めました〉
〈「ぼくは騒ぐ学生が悪いとは思っていません」〉