全国の吹奏楽部を取材し、吹奏楽に関する数々の著書もあることで知られるオザワ部長。彼には、会いたい人物がいるという。その名は浅野大義──驚くことに、私(中井由梨子)がこの夏に上梓した『20歳のソウル』の主人公だった。
大義くんは、市立船橋高校の吹奏楽部で同校の応援歌『市船soul』を作曲した青年だ。2017年1月、がんのため20歳の若さで短い生涯を閉じた。彼の告別式には、市立船橋高校吹奏楽部OG・OB164人が集まり、この『市船soul』を演奏。たったひとりのために集まった、たった一度きりのブラスバンドだった。
ある時、オザワ部長は知人から「吹奏楽界で面白い人がいる、会わせたい」と言われたという。しかしその相手が、体調が悪く入院したとのことで先送りとなり、その話はそれきりとなった。オザワ部長は『20歳のソウル』を手に取って、『市船soul』を作曲したのが現役の学生だったことを知り、驚いたという。が、もっと驚いたのは、その知人から「会わせたい」と言われていた人物こそが、その作曲者・浅野大義くんだった、ということだ。
大義くんは、「吹奏楽─wind music―」名義のTwitterアカウントで、吹奏楽や音楽に関する記事をほぼ毎日のように投稿していた。音楽に興味がない人でも、この投稿を見て興味を持ってくれたら、という願いからの発信だったという。大義くんとオザワ部長さんの知人を結びつけたのもTwitterだった。フォロワーは5万人に達していた。
「吹奏楽―wind music―」は、闘病中にもほぼ毎日欠かさず更新された。最後の投稿となったのは、2017年1月1日。謹賀新年という見出しで、2012年全日本吹奏楽コンクールの課題曲『さくらのうた』を紹介している。
2016年の暮れ、オザワ部長は大義くんの母校・市立船橋高校吹奏楽部の定期演奏会に足を運んだ。大義くんは闘病の最中に来ていたものの、惜しくも2人は会うことができなかったという。定期演奏会では、市船ならではの演目『吹劇 ひこうき雲~生きる~』が上演され、オザワ部長は涙した。会場全体からもすすり泣く声は止まなかった。
「感動的でした。大義くんのことを当時は知らなかったけど、ご本人はどんな気持ちで聴かれていたんだろうかと思います」(オザワ部長)
この演奏の様子は、オザワ部長の著書『吹部ノート2』の冒頭にまとめられている。
「市船に限らず、どの吹奏楽部を訪ねても、自分と向き合って毎日の練習を積み重ねる生徒たちのひたむきな姿に遭遇します。彼らに会うと、自分ももっとひたむきに生きられるんじゃないかと思うのです」(オザワ部長)
大義くんもその1人だった。そして青春を音楽とともに駆け抜けていった。