古来日本人は、わずか31音の定型詩・和歌で心の中にある「まことの思い」を詠んできた。その伝統の核に、天皇がいる。宮内庁御用掛として昭和天皇、今上天皇や皇族方の和歌の御相談役を務めた歌人、岡野弘彦氏が、「歌人としての天皇」を語る。
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この世の始めの時、中空にかかった天の浮橋で、男女二体の祖神がこんな言葉を語り合った。
「あなにやし えをとこを」(ああ、なんとすばらしい男でしょう)
「あなにやし えをとめを」(ああ、なんとすばらしい女だろう)
『古事記』の中、創世の神のイザナギとイザナミが「原初の歌」を交わして神や国土が生まれる場面である。簡潔だが深い愛情を込めた、細やかな神の言葉から日本は始まった。
これ以降、言葉は物を生み出し、願いを現実化する力を持った。現在にいたるまで、日本人は心の中にある「まことの思い」を和歌で表現する伝統を持つ。こうした古代の言葉が孕む霊的な力を最も濃密に受け継ぐのが天皇の歌の伝統である。
古の時代、年の初めに天皇が土地の生産を祝福する歌や、活力に富んだ恋の歌を力強く朗々と歌うと、人々をはじめ家畜や穀物が豊かな生産力を持つようになると信じられた。この呪的な力から和歌が生まれ、はるか後世まで、新年の歌会始が恒例行事となった。