映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・篠田三郎が、吉田松陰、源実朝、飯富昌景を演じた思い出について語った言葉をお届けする。
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幕末の長州藩を舞台にした一九七七年のNHK大河ドラマ『花神』で篠田三郎は吉田松陰に扮した。その苛烈な芝居がドラマ前半を盛り上げている。
「最初は吉田松陰のことは名前くらいで、ほとんどよく知りませんでした。それで司馬遼太郎さんの『世に棲む日日』を読んだところ、感動しましてね。あの時代の人たちは、とても感情が豊かだった。武士だから泣かない──というのはなくて、よく泣き、よく笑った。そして志士の多くは若くして亡くなっている。太く短く生きているんです。ですから、自分もそうですが、俳優はあの年代をやると役から魂を与えられて張り切るんです。やりがいがあるんですよ。
寅次郎と名乗っていた若き日の松陰は、当時の日本の現状を知るために萩から出向いて遠い東北にまでよく旅をしています。とても行動的な人間でしたので、僕も演技どうこうではなくそんな松陰に少しでも近づきたく体当たりでやっておりました。例えば息を切らして登場する場面では、出番の十秒くらい前まで腕立て伏せをして本当に息を切らしながら出ていました」
鎌倉幕府の草創期を描いた七九年の大河ドラマ『草燃える』では三代将軍の源実朝に扮した。おっとりした公家的なイメージの強い実朝を、結果的に狂気に憑かれていく悩めるインテリとして演じている。
「実朝のときは、どこかでまだ吉田松陰を引きずっていました。実朝は穏やかな、顔でいえば狸、丸顔で鷹揚としたイメージがあると思うんですが、松陰を引きずっているものだから、そういう激しいところが出てしまったように思います」
八八年の大河ドラマ『武田信玄』では武田家重臣・飯富(山県)昌景を演じた。児玉清が演じる兄・虎昌と不倫関係の女(小川真由美)との対決シーンでは緊張感ある芝居をしている。