テレビの時代が始まる頃、会社員でありながら、やりたいように自由を謳歌して生きてきた人、TBSの「日本レコード大賞」をNHK紅白歌合戦と並ぶ大イベントにした砂田実さん。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、87歳の今も意欲的に楽しみながら生き、仕事をする砂田さんについて紹介する。
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破天荒な男に会った。ダンディなのに、よくしゃべる。人生がおもしろくてしかたないみたい。
砂田実さん。87歳。テレビの黄金時代を駆け抜けた不良プロデューサーだ。TBSの「日本レコード大賞」を、NHKの紅白歌合戦と並ぶ大みそかのイベントにしたことでも知られている。
砂田さんがテレビ業界に入ったのは、テレビの本放送が始まった2年後。TBSの前身のラジオ東京で、テレビの製作を始めた。
入社4年後の1959年に、日本レコード大賞がスタートする。まだ注目されていなかったイベントを、紅白歌合戦と同じ日にぶっつけ、会場も大きな帝国劇場で行なおうと画策する。
ただ、それには問題があった。当時、帝国劇場は劇作家の菊田一夫が牛耳っており、自分以外の仕事で帝劇が使われることを渋っていた。それを、無理せず、根気よく通い続けることで、菊田の気持ちを変えていったのが砂田さんだ。
日本レコード大賞が大みそかのイベントとなったのは、1969年。大賞は佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」が受賞した。1977年には、視聴率が50%を記録した。このときの大賞は、沢田研二の「勝手にしやがれ」である。