中川:DD論に反発するのは主に反差別活動家の側ですが、「ヘイトスピーチはダメに決まっているじゃないか、どっちもどっちじゃなくて、オレらは正しいんだ。ダメなものを潰すにはこちらも過激になるしかないだろ」ということです。「お前達は我々をレイシストと一緒にするんじゃない、どっちもどっちというお前こそ差別に加担している冷笑主義者である」という流れになる。
DD論を批判する反差別界隈からすれば、中間層による「過激過ぎでは……」「どっちも支持できない」という意見がむかついて仕方ないし、ネトウヨよりも冷笑系がタチが悪いと考えている面もあります。なぜなら自分達は反差別活動という人の道に沿った活動をしているから、それを邪魔する敵であると認識する。そして、「オレ達だって本当はこんなことやりたくない。差別するヤツが存在しなければこんなことやらないで済む」と追記する。いや、差別をしていないオレのことも糾弾してるじゃないか、としか思えないんですけど。すると「お前のその態度がレイシストを利するのだ」なんて言ってくる。まぁ、なんでもかんでも差別やヘイト認定し糾弾するので、全然説得力ないんですけどね。
橘:IS(イスラーム国)のいちばん敵は、キリスト教でもユダヤ教でもなく同じイスラームですよね。「ムハンマドやクルアーンはデモクラシーや男女平等を否定していないし、近代的・世俗的な市民社会とイスラームの信仰は共存できる」という寛容で真っ当なイスラームこそが彼らの最大の敵で、「タクフィール(背教者)」のレッテルを貼って「絶滅」しようとする。
キリスト教やユダヤ教はイスラームと同じ神をちがうやり方で信仰しているだけですから、過激なイスラーム原理主義の論理でも、ジズヤ(人頭税)を払えば信仰をつづけることが許されます。それに対してイスラームの「異端」はクルアーンを冒涜しているのだから、どんなことをしても許されることはない。スンニ派とシーア派の対立も同じですが、自分たちとはあまり関係のない異教徒には寛容で、すぐ隣にいる「異端」は皆殺しにして当たり前という理屈になっていきます。「リベラル」の中での対立も同じで、自分が正義の側にいることを証明しようと思ったら、右翼を叩くより曖昧なリベラルを叩いたほうがいい。これがセクト闘争の定番で、それと同じことがネットを舞台として起きているんだと思います。
◆「社会の状況にあわせて自分を最適化していく」
中川:不思議なのが、ネトウヨの側ではこういう内部分裂が無いということですね。一応一致団結するんですよ、彼らは。
橘:たしかに、どっちがより愛国かで喧嘩するというのは聞いたことがないですね。