ネット上で政治的なテーマを扱う場合、意識しなければならないのが、「保守とリベラルのレッテル貼り」からいかに逃れるか、という問題だ。だが一方でそうした「党派」のレッテルから逃れたとしても、批判対象となり得るという。それはいったい、どういうことなのか。
『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第5回)
中川:昨今のネットでは、「お前はどっち側だ」みたいなことの旗幟を鮮明にしなくてはいけないような雰囲気があります。小泉純一郎氏がその先鞭をつけたのでしょうが、「郵政民営化に賛成か、反対か!」みたいなところから始まり、2014年の東京都知事選でも細川護熙陣営について「原発に反対か、賛成か!」とやった。ここしばらくの沖縄県における選挙の「オール沖縄vsそれ以外」もそうです。小泉氏の時は、反対派に「刺客」を送り、落とそうとし、女性の刺客は「くノ一」なんて呼ばれた。そうした旗幟を鮮明にすることが分かりやすく表れるデモにしても、同じ立場の人々がいっぱいいたら安心するし、ここにいる人たちで社会をどんどん良くするんだという高揚感も出てくる。だからこそ皆で行進しているうちにどんどん過激化し、「朝鮮人をガス室に送り込め!」なんて叫んだりする。
橘:在特会(在日特権を許さない市民の会)系のデモですよね。こんなグロテスクは主張が許されないのは当然ですが、郵政民営化や原発問題も含め、その背景にある論理は同じなんじゃないかと思っています。「俺たち」と「奴ら」に集団を分割して、「俺たち」を光と善、「奴ら」に闇と悪のレッテルを貼って、善(正義)が悪を叩くことで世界が救済される。この図式は、右も左も同じですね。
中川:そこでちょっと厄介なことが1個あって、今みたいな橘さんの分析は正論だと思うのですが、そういう発言をすると“冷笑系”と言われる傾向があるんです。これが、私もそうですけど、橘さんのように客観的に物事を批評する人を揶揄する言葉になっています。別に笑う要素なんて一切ないから、ただ呆れてるだけなんですけどね。
橘:たしかに「冷笑派」と言われることはあります。
中川:言われます? あと“DD論”という言葉もあるじゃないですか。
橘:DD論って何ですか?
中川:どっちもどっち論。対立した意見があるときに「どっちもどっちじゃないか」っていうスタンスでいることを揶揄する際に使われる言葉です。
橘:それはまさに私にぴったりですね。こんど使わせてもらいます(笑)。