「涙を流したのは、病気を宣告された日だけです」。まっすぐにこちらを見つめて話す男性はプロボクサーとして厳しく鋭い眼光の中に、誰よりも愛娘を思う父の愛情を浮かばせた。4才の娘の病気が発覚してから半年。自らを見つめ直し、男は今日もリングに上がる──。
10月下旬の夕方、東京・大塚の駅前は居酒屋を求めて歩くサラリーマンでごったがえしている。にぎやかな街中の一角で異彩を放っているのはガラス越しにも熱気が伝わる『角海老宝石ボクシングジム』だ。
パンッと乾いた音が外まで響く。リングの上、鍛え上げた肉体で一心不乱にミットを打ち込む、一際眼光鋭い男──日本スーパーウェルター級暫定王者のプロボクサー、渡部あきのり(33才)だった。
Tシャツは大量の汗で色が変わっている。歯を食いしばりながらパンチを繰り出すたびに、顔の険しさが増す。練習はノンストップで90分に及んだ。
「自分はいくら練習や減量がきつくても試合が終わればオフがありますから。でも娘に休みはありません。娘が闘っているのに、自分が休むわけにはいかない」
渡部は厳しい表情を崩さずに淡々と話す。彼は今、難病を抱える娘とともに、絶対に負けられない戦いの真っただ中にいる。
◆ダメなやつじゃん、死んじゃう病気じゃん
「ボクシングの世界チャンピオンになる」と決心したのは中学生の時だ。18才でプロデビューし、無敗のまま15連続KO勝ちの日本記録を打ち立てた。しかし、ウェルター級の日本王者に上り詰めるも、世界タイトルのチャンスには恵まれず、ジムの移籍も重なった。
26才で4つ年上の妻と結婚。長男の太尊くん(6才)、長女の紗月ちゃん(4才)が生まれる。
そんな最中の2016年8月に角海老宝石ボクシングジムに移籍し、奮起する。単身、寮に入り、平日はトレーニング漬け。家族と過ごせる日曜日を楽しみにする日々を送った。昨年12月、プロ42戦目にして世界ランク1位の選手に挑戦するロシア遠征へこぎ着けた。
その矢先のことだった。2018年1月、妻から突然「娘の様子がおかしい」と連絡が入った。
「公園に連れて行っても、大好きだったはずの滑り台を『怖い』と言って嫌がるようになった。自転車の前かごにも『嫌だ』と乗りたがらない。何かがおかしいのに、病院に行ってもわからない。医師には少し前に引っ越しをしたから、そのストレスなのではないかと言われました」(渡部、以下「」同)
娘の症状は悪化した。2月になると手、足、腰などさまざまな部位を「痛い」と訴えるようになった。しかし、何度病院に連れて行っても、医師は「異常はありません」と言うだけ。解決策がないまま、月日だけが過ぎていった。
事態が急転したのは2か月後。試合を終えた渡部が自宅に戻ると、紗月ちゃんが床に這いつくばっていた。娘を抱え、病院に直行。血液検査を受けると異常な数値が出たため、小児医療センターに緊急搬送された。