テレビが誕生した1950年代、娯楽の主流は映画だった。1957年の白黒テレビの普及率はわずか7.8%。しかし、皇太子ご成婚や東京五輪などを契機に各家庭に置かれ、1965年には90%に達した。
前年の1964年、山田吾一主演の『風来坊先生』をヒットさせていた日本テレビは翌年の日曜20時をドラマ枠と決める。同局の岡田晋吉プロデューサーは石原慎太郎原作の『青春とはなんだ』を企画した。岡田氏が語る。
「当時は、映画会社がテレビに非協力的でしたが、何とかその力を借りたいと思っていました。そこで、東宝の千葉泰樹監督にお願いすると快く引き受けてくれ、その流れで演出家や脚本家も協力してくれることに。主演は東宝の看板スターである夏木陽介に決まり、相手役は東宝の藤山陽子になりました」
『風来坊先生』では生徒役が実年齢と離れていたため、画面に違和感が残っていた。
「若さが欲しかったので、『青春とはなんだ』では本当の高校生である岡田可愛や酒井和歌子を起用しました。芝居慣れしていないのも良かった」