美しい女性はいつの時代も男性のみならず女性にとっても憧れの的であった。その「美人」の基準は時代ごとに大きく移ろってきたと言える。
「大正三美人」と呼ばれたのが九条武子、柳原白蓮、江木欣々。『大正昭和美人図鑑』の著者で近代芸能史研究家の小針侑起氏が「なかでも別格」と評価するのが九条武子だ。関東大震災の被災者、孤児の救援活動に尽力し、女性の道徳的な鑑とされた。
関東大震災後の大正末期から昭和初期に、西洋文化の影響を強く受けたモガ(モダンガール)が登場する。最先端の洋装に身をまとい、煙草をくゆらし、男を弄ぶ──そんな女性を象徴する美人女優が入江たか子。彼女のあと桑野通子、高杉早苗(香川照之の祖母)といったモガの女優が続々とデビューした。
やがて日中戦争が激化し、太平洋戦争が始まる。戦中を象徴する美人が原節子と山口淑子。原は日独合作の国策映画『新しき土』に主演してナチスドイツで大歓迎され、山口は日中戦争中の満州で中国人女優・歌手の李香蘭として活躍した。
原は戦後しばらくも時代を象徴する美人女優として活躍する。同志社大学大学院社会学研究科教授(比較文化史)で、『明治〈美人〉論メディアは女性をどう変えたか』の著者・佐伯順子氏が語る。
「田中絹代などが戦前の美人顔である、白粉、着物が似合う平面的な丸顔なのに対し、原は西洋風の彫りの深い顔立ち。その点で戦後的です」