【書評】『くわえ煙草とカレーライス』/片岡義男・著/河出書房新社/1800円+税
【書評】関川夏央(作家)
短編集『くわえ煙草とカレーライス』の冒頭作の題名は「ほろり、泣いたぜ」という。三十歳、この作家の最近の作品としては若い設定の男は俳優、高卒後上京して先輩のバンドに加わり、最初のライブハウスで「これは食っていけない」と思った。
バンドはキャバレー回りの、懐かしい洋楽の「カヴァー・バンド」になり変わったが、支配人のひとりに「お前ら、歌謡曲をやれ」といわれた。彼は歌謡曲を演奏し歌うのが、イヤではなかった。地方の古風なキャバレーをめぐるのも、むしろ好きだった。
バンド名は東京サエキアンズから東京ウエハラリアンズに。サエキは佐伯孝夫、「新雪」「鈴懸の径」「野球小僧」「有楽町で逢いましょう」で知られる戦中戦後の作詞家、ウエハラは上原敏、「妻恋道中」「流転」の歌手、三十五歳でニューギニアで戦死した。
日本語の歌は、自己主張、激情でごまかせない。とくに美しい戦前の歌謡曲は、「直角のところは直角のまま」歌って歌詞を粒立てないと品が落ちる。三人の三十男が即席で歌う「妻恋道中」は、書きものながらみごとな歌唱に聞こえる。登場する女性たちは、年齢にかかわらず、順子、愛子、美佐子など、「ムード歌謡」のヒロインのような命名だが、被害者ではない。過去を悔やまない。