作家の甘糟りり子氏が、「ハラスメント社会」について考察する。今回は、電話をする、電話を受けることのストレスについて。
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友人との会食は看板のない、紹介制の店だった。地図アプリで近くまで行くものの、なかなかたどり着けない。待ち合わせ時間はもうすぐだ。あせりつつもうろうろしていると、友人からラインがきた。
――場所、わかる? 大丈夫?
私は、一瞬電話をかけようかと迷ったけれど、思いとどまりラインで返した。
――今、○○大使館の前なんだけど。
――それ、行き過ぎ!
――了解、少し戻った。コンビニの隣のマンションの地下?
なんてことを、薄暗い道端で、老眼の目を細めて必死に字を打った。正直、電話をかけるほうが楽だし、手っ取り早い。でも、相手がもう席についていて、そこに電話の着信音が鳴り響いたら周囲の人にも迷惑だ。もしかして、まだ地下鉄に乗っているとしたら、それもやっぱり周囲に迷惑である。電話をかけることによって、相手にマナー違反をさせてしまう。それを考えると、少々目の負担になってもラインやメッセンジャーでの連絡となる。
今や、私にとって電話をかけるという行為はすっかりハードルの高いものになった。電話は「いきなり相手の時間を奪うもの」という意識が刷り込まれたからだ。
いくつかのきっかけが同じ時期にあった。
資料が欲しい案件があって、自分より一回り年下の編集者に電話をかけた時の反応もその一つ。私が名乗るのを遮るように、こういった。
「何かあったんですか?」
よほど緊急の用事かと勘違いされた。用件を伝えると、調べて連絡しますといわれ、答えはメールで返ってきた。資料の詳細をいちいち口頭で伝えられても困るので、この対応は当たり前。ということは、こちらもメールなりラインなりで頼むのが礼儀なのだろう。相手がずっと若い場合は、上から目線に見えないよう気をつけなくてはならない(中年って大変なのよ…)。可能な範囲で相手のやり方やペースに合わせている。
昨今、編集者とのやりとりのほとんどはメールである。新しい依頼がある場合もまずはメール。で、その後に改めて電話で挨拶をしてくる人と、そのままメールだけの人に分かれる。
…のだけれど、先日は「メールで詳細」の前に「電話で挨拶」という人がいた。いきなりメールでお願いをするのは失礼という考えなのだろう。丁寧な人である。ところが、タイミングが合わなくて私はなかなか電話に出られなかった。その度に留守番電話には恐縮した口調のメッセージが残される。正直なところ、「要件をメールで送ってくれればいいのに」と思った。それなら手が空いた時に読めるし、返答もできる。何度目かの電話でやっと話せた時、お互い謝ってばかりであった。今どきの合理主義的な起業家なら、この謝りあっている時間こそ「無駄以外の何物でもない」というんだろうなあ。