選挙の時期が近づくと、街じゅうに選挙ポスターが貼られるが、そこで目立つのは候補者の顔写真と名前、政党名ぐらいで、細かい政策について触れられているケースは多くない。本来なら政治家を選ぶ際には、政策の良し悪しで判断すべきだと考える人は多いが、なぜそうならないのか。
『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第9回)
中川:日本でも、選挙で一番強いのは握手をすることだ、みたいなやり口がずっとまかり通っているじゃないですか。政策を読もうという気が全くなく、ルックスとか「あの人は握手をしてくれた」、「あの人はこんな山間部の奥地の集落まで来て声をかけてくれた」みたいなのが、投票する際の判断材料になっていますね。
橘:それもあるでしょうが、そもそもなんで選挙に行くのかを考えてみる必要があると思います。これはじつは経済学では大きな謎で、普通に考えたら自分の1票で選挙結果が左右されるわけはないのだから、「合理的経済人」が投票なんかのために時間を費やすはずはない。その結果、先進国はどこでも低投票率に悩んでいるわけですが、それでも猛暑や嵐、大雪のなかを有権者の半分が投票にいくというのは驚くべきことです。
もちろん、「お隣さんに頼まれたから」とか、「お父さんの葬式に来てくれた」などの理由は大きいでしょう。ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ブキャナンは公共選択の理論で、これは有権者がなんらかの見返りを期待している合理的な選択なんだと主張しました。私が選挙に行くようになったのは友人がたまたま国会議員になったからで、なにかの便宜を期待したということはもちろんないんですが、これも「ほんとうに困ったことがあったら頼みにいこう」とひそかに思っている、ということになる。でも、ほとんどのひとは政治家と知り合いでもなんでもないのに選挙に行ってますよね。都市部はとくに顕著ですが、公共選択の理論でも、やっぱりなぜ投票に行くのかはうまく説明できないんです。
中川:握手をしたけどオレの目を見てくれなかったとかで、嫌になって投票しなかったというのもありますよね。投票するかしないかは、その程度の差だったりしますね。