【書評】『教養派知識人の運命 阿部次郎とその時代』/竹内洋・著/筑摩選書/2000円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
漱石の小説に出てくる青年たちの後半生を見るような錯覚にとらわれる本である。『三四郎』『それから』『こころ』、あるいは『虞美人草』『行人』などの迷える青春群像が大人になった姿である。
明治の後半に帝国大学に学んだエリートだが、彼らは「高等遊民」的煩悶を共有する。法科的人材ではなく、文科的人格を目ざす。その人生航路には名声、嫉妬、異性関係といった煩悩がつきまとう。竹内洋の『教養派知識人の運命』は、そのタイトル通り、近代日本の青年たちの行く末を、柔軟な視線で看取っている。
主人公の阿部次郎は、大正から昭和の途中まで「青春のバイブル」とされた『三太郎の日記』の著者である。昭和十七年生まれの竹内は高校生の時に、わが家に下宿していた先生から「読むように」と西田幾多郎『善の研究』と一緒に渡された。京大入学後にわかったのは、「読んだ上で否定しなければならない」時代遅れの書物だということだった。『三太郎の日記』を出し続けた岩波茂雄の「岩波文化」と角川源義の「角川文化」は、曲がり角にさしかかっていたのである。