【書評】『愛すること、理解すること、愛されること』/李龍徳・著/河出書房新社/1450円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
二組の夫婦の愛と人生の軌跡をたどりつつ、人間のエゴのグロテスクさを見せつけるじつに怖い秀作だ。大阪弁を交えた会話のスピード感と熱量、言葉のどつきあいの毒性に当てられながら、しかし頁を繰る手が止まらない。設定からは、同じく二組の男女のひと晩を描いたオールビーの『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』や、小池昌代の名短編「タタド」などを髣髴する。
東京の大学で同じサークルに所属していた二組のカップルの元に、後輩の妹から手紙が届き、四人は北軽井沢の別荘に招かれて出かけていく。着いてから聞けば、後輩は謎の自殺を遂げたのだという。
陶芸の名家に生まれた売れっ子アーティストの女性と、専業主夫として彼女を支える男性の夫婦。もう一組は、他人に全く頓着せず人を顎で使う女性と、ゲーム会社に勤める穏やかな男性。ここに集まった女性たちは「三者三様のマリー・アントワネット」と表現される。三人とも機能不全家族のもとに育ち、人間関係に問題があることが浮き彫りにされていく。夜が更けるとともに、醜い罵倒の応酬が……。しかしモラルハラスメントは暴君めいた者が行うとは限らない。
第一章はそうして幕を閉じ、第二章の幕開けに、読者はあっけにとられることになるだろう。一組には娘が生まれるが、ここに描かれる「母性の空白」は本作中最も衝撃的かもしれない。