保守合同の立役者である大物政治家・三木武吉は、1952年の衆院選の立会演説会で、「私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人である」と豪語した。1957年に施行される売春防止法を巡っては、事前に「妾」が法律の規制対象に含まれるかどうかが国会で議論された。
それほど、戦後のある時期まで、金や権力のある男が「妾」=衣食住の面倒を見た上に“お手当”まで与える相手を持つのは当たり前のことで、しかも「妾」の多くは正妻にも知られる半ば公然の存在だった。俗称として「二号」とも呼ばれた。「そんな時代を象徴するのが、“ヴァンプ(妖婦)女優”と呼ばれた淡路恵子です」と語るのは、映画評論家の秋本鉄次氏だ。
淡路は1950年代後半以降、東宝の「駅前シリーズ」「社長シリーズ」などで、金持ちの浮気相手となるバーのマダムや芸者をよく演じた。自身が20代前半から30歳前後の頃だ。その後、妻のある男が「男と女の関係」にある妻以外の女性の名称として「愛人」が定着する。愛人は、生活を全面的に“お世話”されているとは限らない。
「1960年代以降は錚々たる女優がさまざまな愛人役を演じました」(秋本氏)